数え切れないほど多くの主題が、心の哲学で発展してきた考えによって影響を受けている。わかりやすい例で言えば、死やその定義的性質の本質、感情の、知覚の、そして記憶の本質は何か、といった問題である。人が何ものであり、人の同一性は何によって保たれるのかといった問題についても、心の哲学は大いに関係がある。ここでは心の哲学に結びついたうちでも、とくに注意を注がれている2つの主題について述べよう。すなわち自由意志と自己の問題である
詳細は「自由意志」を参照
心の哲学の文脈において、自由意志の問題は新たな重要性を持つようになった。このことは、少なくとも唯物論的決定論者にとって重要である。[17] 決定論者の立場からすれば、自然法則は完全に物質的世界の行く末を決定する。心的状態は、そして「意志」についてもまた、なんらかの物質的状態であるだろう。このことが意味するのは、人間の行動や決定が完全に自然法則によって決定されるということである。この論法をもっと先に進める者もいる。すなわち、人々は自分自身では、何を欲し何をするか決定することができない。結局のところ、人々は自由ではない
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一方で、両立主義者(compatibilists)は、上記の議論を拒否する。この立場をとる人々は次のように言う。「我々は自由か?」という問いは、我々が自由という語の意味を何にするか決定する場合にのみ答えることができる。自由であることの反対は「原因がある」ことではなく、「強制される」または「強要される」ということである。決定されていないというだけでは、自由であるというに十分ではない。自由な行為は、行為者がもし他のことを選んだとしたら、他の事をするのが可能だった場合にのみ、存在する。この意味で、人は決定論が真である場合でさえも自由であり得るのだ。[65] 哲学史上、最も重要な両立主義者はデイヴィッド・ヒュームである。[66] 今日、両立主義の立場は、たとえばダニエル・デネットによって擁護されているし、[67] 二元的パースペクティブの立場から擁護する人にマックス・ヴェルマンがいる。
他方で、非両立主義者(incompatibilists)の中にも、自由意志を否定する議論を拒否する者たちが大勢いる。彼らは起因主義(originationism)と呼ばれるより強い立場で、意志の自由を信じている。[65] これらの哲学者たちは世界の行方は自然法則によって完全には決定されないと主張する。少なくとも意志が決定される必然はない、それゆえに意志は潜在的に自由である。哲学史上、最も有力な非両立主義者はイマヌエル・カントである。[69] 非両立主義の立場に対する批判者は、非両立主義者が自由の概念を場合に応じて変えて用いていると批判している。批判者の主張は次のとおりである:すなわち、もし我々の意志が何かによって決定されないならば、我々はまったく偶然に自分が何を望むかを望むだろう。そして我々が望んだものが純粋に偶発的なものであるならば、我々は自由ではない。つまり、もし我々の意志が何かによって決定されないのならば,我々は自由ではないのだ