イタリア南部のナポリ王国とシチリア王国はもともとアラゴン王国の支配下にあったが、アラゴン王国がスペインに統合されることによって、スペイン王家の支配を受けるようになった。ナポリとシチリアは形式的に分かれているだけで、どちらもスペインの支配下にあり、フランス・ブルボン家がスペイン王となるに及んで、ブルボンの支配はこれら王国にも及んだ。ところが、スペイン・ブルボン家初代フェリペ5世即位後勃発したスペイン継承戦争でオーストリアがナポリとシチリアを占領した。オーストリアの支配は1707年から1734年まで続いた。
ポーランド継承戦争中、フェリペ5世の王子でパルマ公だったドン・カルロスが武力でナポリとシチリアを奪回し、ナポリとシチリアの王カルロ7世となった。ここにブルボン家は南イタリアをも獲得したことになる。その後、カルロ7世はスペイン王位に即位してカルロス3世となり、ナポリとシチリアは息子のフェルディナンドに譲った。これがナポリ王フェルディナンド4世(シチリア王フェルディナンド3世)である。
19世紀始めのナポレオン戦争でナポリは一時フランス帝国の支配下に落ちたが、1816年のウィーン条約によって返還され、両シチリア王国として再出発した。ナポリ王フェルディナンド4世(=シチリア王フェルディナンド3世)は両シチリア王フェルディナンド1世となった。両シチリアのブルボン家は4代続いたが、1860年にガリバルディに征服され、統一イタリア王国に併合された。廃位後も家系は今日まで存続している。
ナポリ・ブルボン家歴代国王 [編集]
カルロ7世(1734年 - 1759年)
フェルディナンド4世(1759年 - 1806年)
シチリア・ブルボン家歴代国王 [編集]
カルロ7世(1734年 - 1759年)
フェルディナンド3世(1759年 - 1816年)
両シチリア王国歴代国王 [編集]
フェルディナンド1世(1816年 - 1825年)
フランチェスコ1世(1825年 - 1830年)
フェルディナンド2世(1830年 - 1859年)
フランチェスコ2世(1859年 - 1860年)
パルマのブルボン(ボルボーネ)家 [編集]
イタリア北部のパルマ公国はファルネーゼ家によって建てられた国であるが、ファルネーゼ家が断絶した際に、フェリペ5世の王妃エリザベッタ・ファルネーゼの尽力によって息子ドン・カルロス(カルロス3世)が公位を継承した。その後パルマはポーランド継承戦争の結果オーストリア・ハプスブルク家に渡るが(ドン・カルロスは代わってナポリとシチリアの王位に就く)、オーストリア継承戦争の講和条約であるアーヘンの和約で再びスペイン・ブルボン家に戻り、カルロスの弟フィリッポが公位に就いた。このフィリッポの家系をブルボン=パルマ家(ボルボーネ=パルマ家)と呼ぶ。
フィリッポの死後は息子フェルディナンドが公位を継いだが、パルマはナポレオン・ボナパルトに征服され、フェルディナンドの息子ルドヴィーコは新たに建てられたエトルリア王国の王位に就けられた。エトルリア王国はルドヴィーコの息子カルロ・ルドヴィーコの代にフランスに併合され、カルロ・ルドヴィーコはウィーン会議の結果ルッカ公となったが、ルッカ公国は1847年にトスカーナ大公国に併合され、カルロ・ルドヴィーコはパルマ公位を得た後に死去した。
その後、パルマ公は2代続くが、パルマ公国は住民投票によって1860年にサルデーニャ王国に併合されて消滅した。因みに、最後のパルマ公ロベルト1世は廃位後に24人の子をもうけており、10人の男子のうちから今日まで存続している家系もある。その一つは、ルクセンブルク大公シャルロットと結婚したフェリックス公子の家系である。ルクセンブルク大公家はルクセンブルク家あるいはナッサウ=ヴァイルブルク家の家名を用いているが、男系ではブルボン家の後裔に当たる。
フィリッポ(1720年 - 1765年) パルマ公
フェルディナンド(1751年 - 1802年) パルマ公
ルドヴィーコ(1773年 - 1803年) エトルリア王
カルロ・ルドヴィーコ(1799年 - 1848年) エトルリア王、ルッカ公、パルマ公カルロ2世ルイージ
カルロ3世(1823年 - 1854年) パルマ公
ロベルト1世(1848年 - 1860年) パルマ公
パルマ公国滅亡後のブルボン=パルマ家家長(名目上のパルマ公)
ロベルト1世(1860 年 - 1907年)
エンリコ(1907年 - 1939年)
ジュゼッペ(1939年 - 1950年)
エリアス(1950年 - 1959年)
ロベルト2世(1959年 - 1974年)
サヴェリオ(1974年 - 1977年)
カルロ・ウーゴ(1977年 - )
レジティミスト [編集]
フランス革命以後もブルボン家をフランス王家として支持した王党派をレジティミスト(Legitimists)あるいは正統派という。彼らはボナパルト家支持者であるボナパルティスト、あるいは同じく王党派とされるがオルレアン家を支持するオルレアニスト(オルレアン派)と対立しながら、今日まで存在し続けている。
シャルル10世の孫、シャンボール伯アンリ・ダルトワの死によってルイ15世の男系男子が絶えると、レジティミストの一部はオルレアニストに合流したが、一部はサリカ法に基づいてスペイン・ブルボン家の王族をフランス王家継承者に推し、今日に至っている。
現在はスペイン・ブルボン家の分家のルイス・アルフォンソ・デ・ボルボーンが「ブルボン家家長」「フランス王ルイ20世」として支持されている。これに対してオルレアニストはパリ伯兼フランス公アンリ・ドルレアン(アンリ7世)がフランス王位を主張している。オルレアン家は「パリ伯」の称号をレジティミストから認められているが、ルイス・アルフォンソが用いている「アンジュー公」の称号をフランス公は認めておらず、フランスの裁判所に提訴したことがある(訴えは退けられた)。
レジティミストのフランス王位請求者(7月革命以後) [編集]
シャルル10世(1830年 - 1836年)
アングレーム公ルイ・アントワーヌ(ルイ19世、1836年 - 1844年)
シャンボール伯アンリ(アンリ5世、1844年 - 1883年)
モンティソン伯フアン・カルロス(ジャン3世、1883年 - 1887年) スペイン王位請求者(カルリスタの王)
マドリード公カルロス・マリーア(シャルル11世、1887年 - 1909年) スペイン王位請求者
マドリード公ハイメ(ジャック1世、1909年 - 1931年) スペイン王位請求者
サン・ハイメ公アルフォンソ・カルロス(シャルル12世、1931年 - 1936年) スペイン王位請求者
スペイン王アルフォンソ13世(アルフォンス1世、1936年 - 1941年)
セゴビア公ハイメ(アンリ6世、1941年 - 1975年)
カディス公アルフォンソ(アルフォンス2世、1975年 - 1989年)
アンジュー公ルイス・アルフォンソ(ルイ20世、1989年 - )
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